面白い、感動する、リスペクトする。あなたにとって「共感」って何ですか?
「共感は、便利な常套句」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)エスプレッソください。
■このまえ「共感が生まれるコミュニケーション」について話したじゃない。うちのお客さんで、おばちゃん同士なんだけど、相手の話に「ほーんとにそうよね!」と相槌を打った後に、「でさ、昨日なんだけどね・・・」とか、まったく別の話題に流れていく会話を見るんだけど、この「ほーんとそうよね」というのも共感かね?
■相槌は会話の接続詞みたいなもので、共感ではないでしょう。でも「共感」って便利な言葉ですよね。自分もつい企画書に「自分ゴト化して共感を喚起する」とか書いてしまいがちです。まあ、常套句として使っていることも多いですね。
■「共感」って響きもいいし、便利な言葉だね。共感は同感とは違うよね。
■理性的に意識するのが同感だとしたら、共感はもっと感情的というか、同意を超えて心の波長が合う、共鳴するというか、価値観が重なっていく感じでしょうか。同感の前に、理屈抜きの共感という感情が生まれることもあるでしょう。
信じられる相手との間でないと、共感は生まれないですよね。そのためには「まずは信じてもらうこと」が共感の第一歩でしょう。広告も、言いたいことを言っているだけでは信じてもらえず、ましてや共感は生まれません。
■「広告で信じてもらう」って、なかなか難しいんじゃない?
■いきなり信じてもらうのは難しいしょう。「相手の立場で考えて語る」という努力も大事でしょう。もう一歩進んで、相手が「自分事として捉えられる」ように工夫して語っていくことも、共感につながります。さらに、頭で理解させるより、もう「理屈抜きに好きになってもらう」という共感の作り方もありますね。
伝えたいサービスやターゲットによって共感の作り方はさまざまです。たとえば「携帯料金は高い」と言いたい場合に、カメラ目線で「高い!!」と叫ぶ表現と、生活者の実感として「高くない?」とつぶやく表現で、どちらに共感が集まるかというと、生活者の実感より叫んだ方が、勢いや意気込みを感じられて、ブランドへの共感が上がると思います。まあ、強い表現の場合は、オンエアの頻度が多すぎると押しつけがましいですが。
■共感って「好き」とか「支持する」とかより、もっとほんわかとしたゆるい感じの感情という気がするんだけどね。「ま、いいか」という感じ?
■以前、「広告表現への共感」について10代に意識調査をしたことがありましたが、「興味がある」とか「好き」とかじゃなくて、「許せる」という反応が多かったのが印象的でした。グループインタビューの中で、「あのCMは許せるよね」とか「あれはちょっと許せない」とか、参加者みんなで盛り上がっていました。
つまり広告を「見てもやってもいいか」という、かなり厳しい視点で見ているのではないかと思いました。本当は見たくないんだけど、好きなタレントや音楽、好きな表現なので「許容範囲」という。
とはいえ「許せる許せる」と言う時のトーンは、ポジティブな「いいね」の意味もあるかとは思いました。グルインなので、みんな評論家になった気分だったのかもしれませんが。
■激しく同意するのではなく、「許せる」という温度で共感の意を示すのは分かる気がするね。他にも「ウルっときた」とか「ほっとした」とかも共感の仲間なんじゃない?ようするに自分の心がポジティブな方に動いた時。共鳴するということだね。
■そうですね。共感って実はそういうはかない感覚なのかもしれません。強いインパクトを与えて、心を揺さぶったり、心に刺さるということもあるでしょうが、薄皮のようなはかない感情が幾重にも重なっていって、強い共感に育っていくということもあると思います。
■コミュニケーションの技術としては難しそうだね。
■あなたの味方であると寄り添うとか、説得するのではなくあたかも自分で見つけた答えであるかのように誘導するとか、理屈抜きに楽しめたり感動させる、余計なエンターテイメントはせずにひたすら誠実に語る、などあの手この手を駆使しないと。
共感を得ると言っても、商品や相手によっていろいろな作法があるわけです。共感のスイッチは一つではありません。面白いイコール共感というわけでもありません。
あるノートPCのローンチ時のコミュニケーションを提案した時の話なんですが、クライアントから「企画書の中に共感という言葉があるけれど、この製品にとって共感は必要なのか?」と問われたことがありました。
そのPCは、今までのノートPCには無い新機能が満載で、価格的にもハイエンド機です。そんな先進技術を売る場合の共感とは何か?そもそも共感は必要なのか?という議論になったんですね。
■たしかに「許せるよね」とかいう、ユルい感覚では買ってくれないだろうね。パソコンなんて、店頭で説明聞いても全く理解できないし。
■まあ、そういう方はターゲットではないんですが・・・
■今までとは圧倒的に違うんであれば、それを伝えればいいんじゃない?機能で売る商品なら、徹底的に機能の優位性を伝えることが共感になるんじゃない?
■機能については、カタログや製品サイトで見ればその全貌が分かりますが、その新機能をマルチに使いこなせることが売りなので、15秒とか30秒のCMでは全貌が伝わらないわけです。
結局、今までとは一次元上の機能を使いこなせる人が、自らのクリエイティビティーの次元を上げることができる、というコンセプトにしました。機能を使いこなせる人をリスペクトする。
そういう人ならきっとこのPCをリスペクトしてくれるはず。というリスペクトし合うことで生まれる共感というか。ブランド構築の本質に立ち戻ったと言えばそうなのですが。
■価値を分かってくれる人だけ買ってくれればいいというわけね。「俺か、俺以外か。」みたいな。
■それは、ローランド語録ですね。
■それを使うことでユーザーの創造力がアップしていく。「鏡とじゃんけんしても勝つ。」みたいな。
■それはちょっと違うと思いますが。このPCの場合、「どなたにも使いやすく」という機能ではないので、リスペクトこそが共感の源泉であると。「高い理想を追求して開発したこのPCを使いこなせば、あなたはもっと凄いあなたになる」ということです。
■でもそれだと、ターゲットが狭くなるんじゃないの?
■そういう志を持っているブランドだということで、結果的にブランド全体に及ぼす効果は大きいですから意味はあります。
■「いつかはクラウン」でカローラが売れる、みたいな?例えが古いか。
■それだけじゃなくて、今の自分にピッタリという共感もあるけれど、今の自分には分からない未来への可能性をもたらしてくれる期待感というという共感もあると思ったわけです。
今の自分というジグソーパズルの穴にピタリとはまり込むピースが共感となる場合もあるけれど、ジグソーパズルよりもワクワクするゲームがあるという期待という共感もあるのだ、という感じでしょうか。
■話が分かりにくくて共感できるような、できないような。ようするに「ちょっと背伸びして買っても、損はさせません」ということかね?
■そういう夢の無いことを言ってはいけません。