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コミュニケーションについて、広告クリエイティブディレクターの話

問いかける人、大坂なおみ

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問う、というコミュニケーション

主張でも対話でもなく、問いかける。

大坂なおみ選手の記者会見拒否についての動向が話題となりました。大会運営サイドは、当初は彼女の行動をいわば「ルール違反」として制裁という姿勢に出ました。その後、大坂選手のうつ告白によって態度を反転させ、彼女を全面的に支持し、今後はアスリートのメンタル面でのケアを改善させていくという大きな方針が引き出されたわけです。

この件を巡っては、なぜ最初からうつであることを明かした上で、会見拒否を表明しなかったのか疑問。主張はするが対話はしない大坂。という論調も見受けられます。

いったん拳を振り上げた大会側からすれば、「うつの件は後出ししないで最初から言ってよ」ということかもしれません。しかし彼女の、まず行動を起こして相手の反応を引き出し、それに重ねて意外な真実を明かして反撃した一連の流れが、計算されたものかどうかはともかく、結果的にコミュニケーション効果を最大化したことは間違いないでしょう。

これは、コミュニケーションのあり方にとって大変重要なことを示唆していると思います。それは、大坂選手の会見拒否が、大会側への「答え」ではなく、「問い」であったという点でしょう。

大会側は、会見拒否を「不満に対する答え」つまりゴールととらえて、ルールに則り制裁措置を下したわけです。しかし、大坂選手の会見拒否は、大会側はもちろん、メディアや世の中に対して「このルールのままでいいのか?ここから変われるのか?という問い」つまりスタート地点を示したわけです。

会見義務という古いルールの是非を、拒否というカタチで大会側に問いかけたのだと思います。それは確かに表層的には「対話なき主張」にしか見えませんが。

全米オープンでの黒いマスクも「問い」だった。

大坂選手が全米オープンで優勝した際のインタビューを思い出します。試合を通して、彼女は一貫して黒人差別による被害者の名前が書かれた黒いマスクをしていました。そのことについて、インタビュアーが「マスクで何を伝えたかったのでしょうか?」と聞きました。

「え!そこ本人に聞く?それを聞いちゃ、おしまいでしょ!」と思いましたが、まあ、そのインタビュアーだってアホではないだろうし(ネットでは完全にアホ呼ばわりされていましたが)、マスクの意味を知らない視聴者に代わって、あえて聞いたのでしょう。

しかし彼女は「えー、このマスクに込めた意味はですね・・・」などとは答えませんでした。「あなたはどんなメッセージを受け取ったの?」とインタビュアーに聞き返したのです。その後、彼女は「人々に議論を求める」ことが目的だったとも述べています。つまり「何を伝えたかったのか、それは一人一人が考えてほしい(考えるべき)」というメッセージでした。

これは、コミュニケーションの役割についての本質を突いた言葉だと思いました。インタビュアーは大坂選手のマスクを「彼女自身の答え」と考え、その解説を求めたのですが、彼女がマスクに込めた想いは「他者に向けた問い」だったわけです。

大坂選手はよく「発信力がある」と評されます。本音の言葉に力があり、チャーミングである、SNSでの発信がうまいということもありますが、彼女の本領は「問いかける力がある」ということでしょう。

問うことで、問題は自分事化される。

今、世の中は、ネットの情報だったり、政治家だったり、ワイドショーのコメンテーターだったり、世論調査だったり、街頭インタビューの回答者だったり、「答えを示す人」で溢れています。

その既製品の意見を「自分の答えとして選ぶ」のは簡単です。ですので、大坂選手のように問いかけるコミュニケーションのあり方は、まだるっこしいように感じるかもしれません。

ですが、答えを示すだけのコミュニケーションより、答えは自分の中にあると気づかせ考えさせるコミュニケーションの方が、その問題を自分事として捉えさせる力があることは言うまでもないでしょう。

 

筆者については・・・

 

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