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コミュニケーションについて、広告クリエイティブディレクターの話

「わからないなら反対を」わからないと決めつけた相手にコミュニケーションは通わない。

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「わからない人ね、と言われて平気?」

マスター(以下)いらっしゃい。

わたし(以下)コーヒーください。

このあいだは、大阪都構想反対のヒョウ柄チラシが話題になったことについて話し合ったけど、ああやって「既存の表現に対して自分だったらどうするか?」というようなテーマを持って考えていくと、いいトレーニングになることがわかったよ。

※「大阪都構想反対チラシ」についてのブログはバックナンバーを参照ください。

 

そうですね。広告は問いを発するアートとは違い、クライアントがいて、何かの課題に答えを出していくための技術ですから、何かテーマを想定しないと考えていくのが難しいですよね。

それはそれとして、作風を身につけるという意味では、好きなコピーライターのコピーや作詞家の詞をひたすら書き写していくということも意味がありますね。

 

なるほど、写経みたいだね。ところで、むしかえすようで悪いけど、大阪都構想反対のヒョウ柄チラシが炎上していた時に、やはり炎上していた「わからないなら反対を」という主張も気になっていたんだよね。今日は、その話を。

 

大阪都構想については結果が出ましたが、おさらいすると、賛成派というか推進派の主な主張は、府と市の二重行政廃止、それによる行政コストカット、特別区による身近な住民サービス拡充、大阪府の成長戦略への寄与といったところでしたね。

一方、反対派の主張は、二重行政の実態は既に無い、都構想と言うが実は大阪市廃止、政令市から特別区への格下げによる予算や権限の低下、移行コストによる住民サービス低下、成長戦略の実体はIR誘致だけ、コロナ禍の混乱時にやるべきではない、一度否決されたのに勝つまでジャンケンはアンフェア、といった点でしたね。

 

つまり、争点の中身が住民には検証が難しいので、そこがまず「わからない」。それに加えて、賛成派がマルという点のことごとくに反対派はバツを出したわけなので、もうどちらを信じていいのか「わからない」という、二重行政ならぬ二重疑問になっていたと思うね。だから「わからない」のもしょうがない。

さらにさらに闘いの構図を見ても、推進派という攻める方が勢いがあるのが普通だと思うけど、データも多く持っているので説得力があるわけだし。ところが推進派といういわば攻めている側が、「大阪市を守ろう」という反対派に攻められるという構図なので、よけいわかりにくくなったというか。

 

なるほど、それがマスターの「わかりにくい」の分析ですね。その話はわかりやすいですね。

 

大統領選じゃあるまいし、二択で決めることなのかという素人の直観的な疑問もあるけどね。アメリカの大統領なら任期があるので、どちらになっても期間限定の選択ですむけど、市政廃止は長期的なテーマだもんね。

 

これは私見ですが、住民投票というのは本来、政治家や専門家が熟議した結果、たとえばどうしても10%のリスクは回避できない、または10%の住民にとってはリスクがあることが分かったけど、そのリスクを受け入れてもらえるかの最後の判断は住民にしてもらおうということで行うべきじゃないでしょうか。

今回は「メリット100%」と言っている賛成派と、「リスク100%」と言っている反対派が対立していて、そのどちらかを選ぶというのでは、住民投票の意義にそぐわないのではないかと感じます。

まさに今マスターが言ったように、4年任期の大統領を二択で選ぶのとは訳が違います。そのはざまで悩んでしまう人も多かったのではないですかね?でも、その真面目に悩める人たちに向かって「わからないなら反対」と言うことに違和感があります。

 

あなたは「わからないなら反対」は乱暴な思考停止のすすめで、「わかった上で反対を」とか「わからないなら棄権」が筋じゃないかと言っていたけど。あたしは、そうは思わないね。

 

「わからないなら反対」はコミュニケーションとして正当であるという考えですね?でも「わからないなら反対を」というメッセージが通るなら、「わからないなら賛成を」も「わからないなら棄権を」も通ってしまうんじゃないですか?何でもありの言いっぱなしというか。無責任な主張と感じましたが。

 

理屈としてはそうかもしれないけど、本当にわからなくて悩んでいる、もしくは賛成したいわけじゃないけど「反対」と投票用紙に書くほどの自信がない、といった人たちの想いに応えられないんじゃないか。むしろ「わからないなら反対」というのは、そんな迷っている人たちの背中をそっと押してあげるメッセージとして機能すると思うね。

だって、そもそも世の中わからないことだらけだし、わかったつもりでやって失敗することって多いよ。「生兵法は怪我の元」っていうじゃない。「危ない橋は渡らない」とも言うしね。「わからないなら反対」は、そんな庶民の直観というか生活知にフィットしていると思うよ。

 

なるほど、「危ない橋は渡らない」ですか。「わからないなら反対を」よりは納得できますね。

 

そう。そんな気持ちをコピーにしたチラシを考えてみたんだけど見てくれる?まず、オリジナルはこちらね。

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で、「わからないなら反対」という考え方で作ったのがこちら。これだけじゃ印象操作にすぎないので、裏面にはなぜ反対なのかの理由はしっかり書かないといけないけどね。

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なるほど。「わからないなら反対」を「危ない橋は渡らない」感覚で言ってみたわけですね。ちょっと理屈っぽいですけど。

 

理屈っぽさは、たぶん大阪弁で書けば薄れるんじゃない?大阪弁がわからないので、こんな感じになったけど。で、もうひとつ「危ない橋を渡る人は賛成して」と逆説的に書いたのが、こっちの案。

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 あなたは、そんな無謀な人じゃないですよね、と言いたいわけですね。表面的に読まれてしまうと、本当に賛成を促していると勘違いする人が出てきそうですが。

 

そうか。いずれの案も「わからない」で賛成してしまうことの危険を言ったつもりなんだけど。

 

それはわかります。僕が言いたいのは、そもそも「わからないならどうしろ」ということ自体が余計なお世話だということです。そして、コミュニケーションする相手に「あなたはわからない」と言ってしてしまうことが、まともなコミュニケーションとしてはおかしくないか、ということです。

実は推進派も相手を「わからない人」と決め付けていたんですね。「大阪都構想の制度は車の設計図。設計図がわからなくても車は運転できる」と説明していたことがあると聞きました。これは言い換えれば「わからないなら賛成を」と言っているわけです。

賛成派も反対派も、そもそも「わからないなら」が前提。「あなたの頭ではわからない高度なこと」だからとにかく賛成しとけ、または反対しとけ、という発想なわけですね。

 

そうなんだ。

 

広告コミュニケーションでも「わからない」ことはたくさんあります。というかほとんどは広告だけでは伝わらないんじゃないですか?100円のお菓子から、何千円のサプリメント、何万円のスキンケア、何十万円の家電、何百万円の車、何千万円の住宅まで。

たとえば「このアイスは、くちどけしっとり」と広告で言われても、食べてみなきゃ「わからない」。さらに個人の感覚で違うので、食べても「わからない」人だっています。「わからない人」はもう買わないでしょう。

 

大阪都構想の場合は、次はもう買わないとは言えないしね。

 

高額商品だと、どうでしょう。「これが8Kの美しさ」とCMで見せられても、そのCMを見ているテレビが旧式の液晶だったら、その美しさは分からないはずです。パナソニックのテレビの画質は、東芝レグザで見ていては分からない。

 

で、カタログを見ても分からないので、販売店の店頭で比較して初めて実感できる。でも大阪都構想は店頭で実感することはできないね。

 

車のCMで「家族の夢を実現」と言われても、その車の性能や質感は見て、触れて、運転してみないと「わからない」わけです。しかも車の場合、そもそもそのメーカーが好きかどうかも基準になります。スバリストはスバル車の中から選ぶわけで、そもそも日産車は選択肢にありません。

 

維新ファンは賛成しか選択肢がないということかな。

 

そして、車は購入する時点では、性能や燃費などのカタログ値、デザインなどの見た目では選べますが、その車から得られるエモーショナルな満足感は、乗り続けていかないと実感できないでしょう。広告の訴求だけでは「わからない」ことだらけなのです。

大阪都構想の場合は、車のように試乗できませんし、事前に「わかる」ことができるのは、車で言えば基本的な性能のカタログ値や価格ですが、そこを大阪都構想は車の設計図なので、素人にはわからない」と言われては困ってしまいます。

 

しかも、車なら購入した後で「あれ、ちょっとちがう、失敗かな?」と思っても、「車検まで乗って下取りに出すか」となるけど、こっちは一度決まれば「次の住民投票までは特別区でいくか」というわけにはいかないわけだね。

 

付け加えて言うと、商品や企業の広告コミュニケーションは、マーケットの中で「どれを選んでもらうか?」「どこを選んでもらうか?」かで有利に導くことと言えます。しまし「もともと買う気が無いものに関心をもってもらう」という、ウォンツやニーズへの気づきを与えることも大事な役割です。

今回の住民投票について言えば、投票用紙には「賛成」か「反対」のどちらかを書くので、投票所の中では大阪都構想を「買うか?買わないか?」の二択しかないのですが、そこに至るまでに、賛成派は「大阪都構想のウォンツとニーズ」に気づいてもらいたい。

反対派は「そんなウォンツやニーズは無い」または「大阪市には別に優先すべきウォンツやニーズがある」ことに気づいてもらいたい。という想いでコミュニケーションされるべきでしょう。

それを「わからないなら反対」と言い切ってしまうのは、コミュニケーションとしては乱暴かなと思ったわけです。

 

筆者については・・・

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