大阪都構想反対のチラシ代案の答え合わせ。自分だったらこうする、で表現のトレーニングを。
「ヒョウ柄を超えられるか?」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)カフェラテください。
■大阪都構想の住民投票の結果が出たね。この前話していた、立憲民主党のチラシの話の続きをしようか。もうあたしの案が結果を左右しないだろうから。
■ははは、そうですね。結果が出たところでマスターの案を見せていただくんでした。あくまで大阪都構想の是非という政治的な視点ではなくて、あのチラシを素材にした表現の答え合わせということで。まず、素材となるオリジナルのチラシはこちらですね。
■まずは、1案目ね。オリジナルのメインビジュアルで使われていたイラストは使わずに、「大阪市にいらんことせんとってや、ほんま。」というコピーを活かしたんだけど。
で、知らなかったんだけど、そもそも選管が作った投票を呼び掛けるポスターの写真が、「投票」にかけて「ヒョウ」だったんだね。そういう意味では、それとリンクしているヒョウ柄はやっぱり秀逸だったのかな。
■作る前にYouTubeとか見ていて気づいたんだけど、大阪都構想って住民投票の正式名称じゃないんだね。「大阪市を廃止し特別区を設置するについての投票」っていうのが正式なのね。投票用紙にも「大阪都」とは一言も書いてないんだね。全ての大阪市民が知ってたのかしら?その気づきを、サブコピーとして入れてみたんだけど。
■なるほど。それを知らなかった大阪市民には効果はあると思いますが。このクマはなんでしょうか?
■たしかオリジナルのコンセプトに「かわいい」というキーワードがあったんで、あたしなりにかわいい感じを出したつもり。で、やっぱり、この「いらんことせんとってや、ほんま」というコピーは、オリジナルではなんか諦めのつぶやきに聞こえたので、もっと怒ってるぞ感を出したいと思ってね。
■なるほど。それでコピーが大きく主張しているわけですね。でもまだクマの理由がもう一つ分からないのですが。クマって大阪と関係あるんですか?
■まったく関係ないね。初め道頓堀のグリコのサインが怒っているというアイデアを考えたんだけど、使用許諾が出ないだろうからクマにしたんだけど。そのココロは、人間じゃないものに言わせたかったのね。人間だと、また衣装とかポーズとか言われるかもしれないと思って。
■子育て中の家族に関心を持たせるためには、いいかもしれませんね。一発だとインパクトが無いですが、3点とか5点でシリーズにすれば楽しいですね。ちなみに、オリジナルでは「大阪市廃止にNO!」となっていましたが、「大阪市廃止に反対!」に変えていますが、これはどうしてですか?
■それは実は大事なところなのね。投票用紙には「賛成」か「反対」のどちらかを書かないといけないのね。そこに「NO」と書くと無効になっちゃうんだよね。だから、「大阪市廃止にNO!」と覚えて、間違って「NO」と書かないように、ここはあえて「反対」にしたわけ。
■なるほど、いいところに目が行きましたね。オリジナルは、そのあたりも気が配られていないんですね。
■アイデアレベルなんだけど、「ヤカンが沸騰して怒ってる」「がま口が大口を開けて怒ってる」というのは、どう?
■なるほど。庶民の怒りを生活感のある物で表現するというわけですね。いいかもしれませんね。せっかくなので、もう1タイプあるといいですね。
■その場合は、コピーは怒ってる感を出したいね。制作者は「素朴な疑問を出し合って、出てきたもの」と説明してるけど、「素朴な疑問」というより、なんか「素朴な諦め」に感じるんだよね。意志を感じないというか。大阪弁のニュアンスがわからないからかな?
■まだあるんですか?
■はいはい。コピーは同じで、こんなの。
■なるほど。あなたの疑問や意見を寄せてくださいというわけですね。それで寄せられたコメントはサイトで公開していくと。この投稿スキームは作れると思いますが、WEB担当者は大変でしょうね。
また、WEBに親和性がない人には効果は弱いでしょう。一方、根っからのジモティーではない転勤族のビジネスマンや学生などの若い層には効くかもしれません。
■そうなのか。
■でも、こういうコミュニケーションは、さまざまな声があるという事実を伝えることはできますね。そこには、いろんな角度があるでしょう。真剣に考えている人、ぼんやりと考えている人、あまり考えていない人、なんとなく不安な人など。そういうさまざまな想いを持っている人たちに寄り添うという、共感も生まれるのではないのでしょうか。
■あとは最初に言った、実は大阪市廃止なんだぞということを言いたい案が、これ。「大阪都構想の裏に隠された、大阪市廃止」を言いたかったんだけど。
■はい、以上です。オリジナルで描かれた人物の衣装がヒョウ柄じゃなかったら、どうなっていたんだろうね。親しみのある、いいイラストだと思うので残念だよね。
■広告に描かれる人物やキャラクターは、いろいろな立場があります。たとえば、企業のメッセンジャーという立場の、いわゆるブランドアンバサダー。これは消費者の等身大の存在ではなく、そのブランドが理想とする存在でいいわけです。
その理想は商品によって違ってきます。たとえばハリウッドセレブご用達のシャンプーなのか、優しいママが使うシャンプーなのか。そのブランドが目指す理想の存在ですね。
■「ああなりたい」という理想像ね。
■広告で描く世界も「そうなりたい」を描くことが多いのですが、「そうなりたくない」を描くこともあります。恐怖訴求のような場合ですね。「そうなりたくなかったら、この保険を」とか。でも、恐怖訴求によってネガティブな感情が喚起されて、そのブランドに対してネガティブなイメージを持ってしまうこともあります。
■たとえば、どんな?
■2007年にUCLAの研究チームが、被験者にいくつかのCMを見せて、その脳の活動をfMRIというMRIで見るという実験をしました。そこで見せた2006年のスーパーボウルで流れたゼネラルモーターズのCMのストーリーは次のようなものでした。
主人公は、自動車工場の組立ラインで働く一人のロボット。そのロボットがネジを一つ落としてしまいます。そのために全ての組立ラインが停止。それが理由で、そのロボットは解雇され、家も失い路頭に迷うことに。そして、とうとう橋から身投げしてしまうんですね。
その瞬間、ロボットの目が覚めます。すべて夢でした。そんな「緊張感で働いている」GMの従業員の完璧さを伝えるCMでした。
■オチはそこなのね。まあ、向こうらしいストーリーと言えばいいのかね。実際のCMを見ていないからニュアンスがわからないけど。
■とてもクオリティの高いCMなんですけどね。もっともこれはカンヌなどの広告賞を狙った作品でもあるので、審査員のウケを狙ったということもあるんですが。でも、このCMを見た被験者の脳をfMRIでスキャンすると、恐怖、不安、闘争、逃走などの反応を生み出す脳の扁桃体に変化が現れたんですね。
■つまり、そのCMを見た人の脳は「GMはすごい」とは反応せずに、怖いとか不安とかの反応をしたわけなんだね。
■そういうことになっています。あるセレブの悲惨な末路を描いた「セレブだって一寸先は闇、そうなった時のために」という年金会社のCMにも、脳は同じ反応を示したということです。
■つまり、広告で描かれた人物や人生に自分を重ねてしまうということかな。で、表現の内容によっては、それは自分のことだと思うこともあれば、そんな人生はイヤだと思ってしまう。
■ネガティブなメッセージだと、制作者の意図とは違って、結果的にそのブランドにネガティブな感情を引き起こしてしまうということですね。
■もしかしたら、あのチラシに画かれていた人物にも「あれは自分だ」と共感するより、「私は違う」「ああはなりたくない」と反発してしまったのかもね。だとしたら「こんな人はイヤ」イコール「大阪都構想反対はイヤ」と思われたなら、まさに逆効果だったのかもね。
■そうですね。「反対」をエンドースをする場合、そのエンドーサーは慎重に設計しないと危険ですね。じゃあ、あれがおしゃれなミセスだったらどうだったかと言うと、反感は少なかったと思いますが、その分インパクトも無かったでしょう。
■ネガティブなメッセージを伝える広告は難しいということなのかな。同じことを言われても「だれに言われたか」で、正反対の感情を喚起してしまうのが人間なんだね。内容の良し悪しでなく「好きなあの人が言うなら私も」「嫌いなあの人が言うなら私は逆」とか。
■ともあれ、既存の広告を「自分だったら」と考えてみるのは、表現のトレーニングになると思いますよ。で、オリジナルと比べて検証してみる。そうしていくうちに、自分の表現力が磨かれていくこともあります。また、気になる広告表現があったらやってみましょうか。