短いフレーズは心をキャッチする。飲み込める。反論しにくい。俳句、広告、ワンフレーズポリティクス。
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「スカッとしても解決しない」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)緑茶にしようかな。
■前回の川柳の続きを考えておいたよ。
■へえ、さっそく聞きたいですね。
■では一句。「そば寄るな コロナの前に 汗臭い」。感染予防の前に、エチケットとしてシャワー浴びるかフィジカルディスタンスをとってほしいね。
■八つ当たり的な感じですね。ぜひ一句読んで、怒りをしずめてください。
■「マスクせず 売り場で走る 元気な子」。スーパーマーケットの一コマ。
■それは「信号を 赤でも渡る 元気な子」のパクリですね。
■「昔から マスクで爆走 なめんなよ」。白バイへの怒り。
■状況がまったく分かりませんが。マスターは元族でしたけど、関係あり?
■そう。うちはカミさんもスケ連だったし。知ってる?全国スケ番連合会、略して「スケ連」。
■知りません。その一句は何にムカついたんですか?
■きのう、マスクした白バイに捕まってムカついたのを思い出してさ。こちとら中坊の時からマスクして単車転がしてんだ。白バイのくせにマスクして偉そうにすんな、と。今思い出してもいまいましい。
■なんか大変な逆ギレですね。そもそも中坊のマスクは、感染予防じゃなくて停学予防でしょ。とまあいろいろ検証してみましたが、一句読んで怒りが増すようじゃ、逆効果かもしれませんね。
ムカっと来たらまず一句というアイデアは、どうもダメですね。普通に6つカウントした方が、アンガーマネジメント上は効果があるようです。
■でも俳句や川柳は、たった17文字で伝えるすごい文化だよね。
■そうですね。コピーライターの視点で言うと、俳句は短いゆえに、理屈としてどこがどうおかしいとか揚げ足が取りにくし、反論しにくいんですね。なんせ17ページとか17行ではなく、17文字しかないんですから。
文章は短いほど揚げ足を取りにくいという説がありますが、そういう意味では論文などが最も揚げ足を取りやすく反論しやすい文章です。長文な上に、ロジックとエビデンスのかたまりですから。
■短さで言えば、俳句じゃないけど「人間だもの」とか言われると、もうどうしようもないもんね。反論できないよね。
■はあ・・・
■広告のキャッチフレーズが短いのも、揚げ足を取られないというか反論されないため?
■結果としてはそうとも言えますね。広告は「出会いがしらが勝負」などと言われます。出会った瞬間にキャッチしないとスルーされてしまう。文字通りキャッチフレーズですね。揚げ足を取られる前に飲み込ませるというか。
別に飲み込みやすくなくてもいいんです。のどに小骨が引っかかって、「ん?」と立ち止まらせる力があれば。それはキャッチしたということですからね。そういう意味でも、あまり文字数は多くならない傾向があります。
■読まれるシチュエーションも関係あるよね。電車の中吊りなら、とりあえずは降りる駅までは読んでもらえそうなので、キャッチ一発より多少読ませるコピーの方がよいとか。電車の額面広告で読めないくらい小さい文字のものがあるけど、あれはどういうことなの?
■視力がよい若い人向けの広告とかでは?でなければ、マックのモニター見つめてデザインして、デスク上で校正して、実際の掲出位置を想像していなかったんじゃないですか?または、雑誌広告の単純なリサイズを掲出したとか。
■なるほど。逆に駅の通路のポスターは、立ち止まって読んでいると通行の邪魔だよね。
■そうですね。テレビCMも、タイムシフトではなく普通に観ている場合は、やはり出会いがしらが勝負でしょう。そして、YouTubeの「バンパー」にいたっては、もう出会いがしらしかない。「なになに、もう一度観てみたいな」と思うこともありますよね。
■それも狙いなんだね。でも、だいたいは平凡な6秒間に付き合わされてイラっとすることが多いけど。
■それは、言ってみれば15秒CMの6秒版になっているからでしょう。そういう意味で「バンパー」は、テレビCMとは全く異なるコンセプトのコンテンツと考えた方がいいんですね。
俳句の話に戻ると、短い言葉は、全貌が明かされないから、それぞれの頭の中で都合いいように想像できますよね。逆に、長い文は全貌が分かってしまう分、突っ込みどころが出てきてしまう。
だから、店員さんであれ、経営者であれ、政治家であれ、短い言葉で伝える技術を持っている人は、コミュニケーションの達人と言えますね。コミュニケーションセンスがいいんです。
■センスね。正しいことを言っているのにクドかったりすると、共感は生まれないもんね。コロナの対応の話でも、複雑で歯切れが悪くてまだろっこしいなと思う人と、ズバッと言い切る人がいるけど。
■コロナに対してズバッとソリューションを提示することは難しいでしょう。医学的にも社会的にも経済的にも、さまざまな言説が飛び交っているのも、一筋縄ではいかない複雑かつ未知の課題なので、しょうがないとも言えますよね。でも「ズバッと言ってくれ」と思ってしまうのが人情ですよね。
そういう時に、ズバッと言い切ってくれる人が現れると、スカッとすることもあるでしょう。正しいとか正しくないとかの次元ではなく。
■「よくぞ言い切ってくれた、ああスカッとした」と。ある意味では、コミュニケーションのセンスがいい人なんだね。
■でも、ズバッと言ってもらって自分がいくらスカッとしても、それがイコール課題の解決にはならないかもしれませんよ。複雑なことをワンフレーズで言い切られた時は要注意と考えてもいいんじゃないですかね。スローガンの達人が、ソリューションの達人とは限りません。
■ズバッと言い切ってもらえたスッキリ感と、課題が解決したスッキリ感を混同してはいけないということかね。でも人間って、そのスッキリ言い切ってくれた人について行ってしまいがちなんだよね。