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コミュニケーションについて、広告クリエイティブディレクターの話

「マンスプレイニング」にならないために。広告は、誰が言えば共感される?

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「語りたいの?伝えたいの?」

マスター(以下)いらっしゃい。

わたし(以下)紅茶ください。アッサムで。

今朝うちのヨメとケンカしちゃってさ。あ、ヨメじゃダメか?ワイフとケンカしちゃってさ。「あんたの説教は聞き飽きた」って。

 

まあ、ほとんどの男の話は上から目線で説教臭いんじゃないですか。そういうのを「マンスプレイニング」と言うんですね。「man=男」と「explain=説明」という言葉の合成語ですね。

ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」ではかばん語と言っています。二つの言葉をかばんに詰め込んだということですね。

 

要するに「マンスプレイニング」って、男が女に偉そうに語るということ?上から目線で「俺の方がお前より物知りだぞ」と。

 

もともとは「女性は物事を知らないとする差別意識のことですが、広くは「男性が女性を見下して解説する態度」のことを指します。

僕は、もっと広く「他人を見下して説く態度」をマンスプレイ二ングと言ってもいいかと思います。会議でも、そういうマンスプレイヤーがたまにいますよね。知っていることはクドクドしゃべるけど、逆に知っていることしか言えない。

 

いるね、そういう人。とにかく自分の土俵で勝負しようとするんだよね。

 

とにかく自分が知っていることを話したくてウズウズしているので、何か糸口を見つけると、そこに食いついて講釈が始まるんです。でも、そういう人に限って、みんなが驚くような未知の情報なんか持っていないことがほとんどです。

会議でその人が語りだすと、そこで流れが止まってしまうので困るんですよ。その先を議論したいのに。その長広舌の中に有効な要素があれば、まだ救いはあるんですが、ただその人が語りたいだけの情報なので、時間のムダというか。

 

朝までやってる討論番組で、議論の流れを進めるのではなくて、とにかく自分が知ってることをしゃべりたおす人っているよね。あれもマンスプレイニングかな?

 

討論番組も、噛み合わない知識開陳大会になることはありますね。それは、その討論で何かの答えを出そうという意識で参加しているわけではないからでしょう。他人の発言を上手に遮るテクニックや、他人の発言を引き取ったように見せかけて自論に持ち込むのが得意な人が有利です。

広範な社会的テーマへの答えを本気で見つける場合は、一見畑違いと思われる分野の専門家も入れて議論した方が良いこともあります。

コロナ対策しにても、ウイルス学や感染症の基礎や臨床の専門家はもちろんですが、心理学、経済学、統計学社会保障、流通、教育、リスクコミュニケーションの専門家、もしかしたら外交や気象の専門家がいてもいいかもしれません。

 

シン・ゴジラの「巨災対」みたいな座組かな。話を戻すと、身近にも話の流れとは関係なく、ひたすら自分のことを言い合っているグループってあるよね。噛み合ってないのに不思議と会話は進んでいくんだよね。

うちのお客さんでも「ここのコーヒー、高いわりにまずいと思わない?」「あらそう。で、メロンパン買ったのね」「ほら、コーヒー1杯600円って。それにちょっとぬるいし」とかね。

 

そういうおしゃべりは全員がハッピーで、誰も損していませんが、「マンスプレイニング」の場合は、語った方は「勝ったぞ」と自己満足し、聴かされた方は「ウザかった」だけなんですね。コミュニケーションのハラスメント。

 

さっさと離脱しちゃえばいいのに。

 

それができない人間関係の中で語られるから「説教」なんです。広告だったらチャンネルを変えたり、スキップしたりできますが。

 

たしかに、CMで「これからは、こういう時代なのだ。だから教えてあげましょう」とか上から目線で言われると「よけいなお世話」と感じることはあるね。

 

広告コミュニケーションと「マンスプレイニング」の関係で言うと、広告は「消費者にモノやコトを提案する」ことが多いので、注意が必要ですね。

企業という、ただでさえ偉そうな存在から「教えてあげる」と言われると、企業側にそんなつもりはなくても、受け手は「マンスプレイニング」ととらえがちです。

そこで、国民的なタレントとかアニメキャラクターに語らせて、少しでも上から目線をそらしていくわけでです。

 

タレントとかキャラクターの好感度に頼って、目線を下げようとするわけね。

 

逆に、識者や専門家に語らせて、客観性や説得力を持たせるという手もあります。専門家が語る情報は、マンスプレイニングとは受け取られないでしょう。あくまで語り口は誠実で丁寧でなければいけませんが。

 

専門家の説得力に頼って、上から目線を気にならなくするわけね。

 

さらに、経営者とか社員などバリバリの企業側の人間に語らせたりもします。この場合は当然、実在の人物でなければいけません。

経営者の場合は、本人がコミュニケーション達者である場合は、しっかりクリエイティブして世界観を創った方が勝算があります。トヨタの「トヨタイムズ」のように。

 

昔、メーカーの会長がカメラ目線で「ピップエレキバン」と言うシンプルなCMがあったけど。

 

あれは経営者が「語る」わけではなく、いわばキャラクターとしての登場です。味のある方なら、そういう起用の仕方もありますが。また、高須クリニックのCMの高須院長は、文化人タレント枠なので別格です。

経営者や社員が自社のことを語れば、それは受け売りではないと言う意味で「マンスプレイニング」とは受け取られにくいでしょう。その場合も、ストレートトークでは政見放送になってしまいますので、クリエイティブをしっかり考えていきたいものです。

 

「技術って、人柄です。」という、日立の技術者が語っていく名作CMもあったよね。

 

そうですね。あのCMの好感度が高かったのは、実在の技術者を使ったからですね。皆さん、素人丸出しのぎこちないセリフで、そこがいかにも誠実そうでした。「優れた技術を創り出す企業の人柄」「人を大切にする企業理念」が、強いリアリティとして伝わりました。

これを役者に演じさせると、上手く演じるほど、逆に「リアルを演出した」感じがして、結果としてウソっぽくなってしまいます。

 

タレントが社員の役で出てきて、企業理念などを語るCMを見ると、いくら自信にあふれて誠実に語られても「コンテ通りに演じているわけでしょ」と思っちゃう。

企業側の人間をタレントに演じさせる場合はわかったけれど、それとは逆に「普通の人の普通の日常を描くCM」の場合のタレント起用はどうなの?

 

「普通の日常を描くCM」にも、商品やサービス、企業理念などの企業のメッセージが込められるわけです。それを短い秒数で切り取った「日常」の中で語るわけですから、まず何と言っても「日常の設計」が大事でしょう。

その設計には「キャスティング」も含まれます。キャスティングには2つの考え方があります。まず舞台では活躍していても、テレビには出演しないような「顔が知られていない役者」をキャスティングする。次に「有名な役者」を起用する場合です。前者の方がリアルな日常を描けるように思えますが、そうとは限りません。

視聴者はCMが「演じられた虚構」であることは先刻承知です。有名な役者が演じた場合の読後感は「日常を描いたドラマ」ですが、匿名的な役者さんがリアルに演じた場合は「作られたリアリティ」という読後感になってしまうこともあります。

 

相続をめぐる葛藤がリアルに描かれる再現ドラマ風のWEBCMで、知らない役者さんが熱演してたけど、あまりいい気分はしなかったな。有名タレントが演じていたら違う読後感になったかもしれないね。

 

そうですね。日常を描いて成功したCMに東京ガスのシリーズCMがあります。料理にまつわる家族の日常を描いたものです。もちろんストーリーも演出も素晴らしいんですけれど、芸達者で有名な役者さんをキャスティングした「質の高いドラマ」として作り込み、感動を誘い込みました。

あえてドラマであることの記号となる、名のある役者を起用したことが成功の因だと僕は踏んでいます。「あの人が演じるお母さん、やっぱり味があるよね」など、より心に残る読後感を与えることができたのだと思います。

普通の人々の日常をCMとして描く場合は、あえて虚構のドラマとしての世界観とストーリーを作り込み、それを支え深められる名実ともに備わった役者さんに、役として演じ切ってもらう。そう振り切ることがコツだと思います。

心を動かすストーリーもさることながら、キャスティングの考え方が重要なポイントとなるわけです。

 

なるほどね。話は「マンスプレイニング」からだいぶ逸れたけど、たしかにあなたの話自体は、しっかりマンスプレイニングになってきたね。

 

筆者については・・・

 

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