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コミュニケーションについて、広告クリエイティブディレクターの話

オンライン化が進む自助と公助。オフラインが命の共助はどうなる?

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「ふれあえない共同体の未来」

マスター(以下)いらっしゃい。

わたし(以下)紅茶ください。

今年は根津神社のお祭りもできなかったね。来年はどうなるんだろう?お祭りは、そもそも人と人との「ふれあい」がベースだし、フィジカルディスタンスを保って、掛け声もかけずに神輿を担ぐというのは、全く想像できないもんね。

 

コロナによって喪失したものって多いですよね。言葉にしても「喧々諤々」「丁々発止」はもう死語になってしまうんでしょうか?

 

コロナでなくとも絶滅危惧種なんじゃない?「同じ釜の飯を食った仲間」とかもね。

 

「同じ釜の飯」は大丈夫でしょ。「同じ皿」とか「同じ鍋」は危ないですが。

 

コロナ対策は、国や自治体の大きな取り組みと、個人の日常の心がけについては論じられるけれど、お隣同士で助け合うといった、中間規模の対応についてはあまり聞かないね。

 

それが震災や台風など自然災害と違う点かもしれませんね。自然災害の場合は「自助」「公助」に加えて「共助」の重要さが強調されますもんね。「被災した人を、被災していない人が助ける」または「被災者同士で助け合う」という共助ですね。

 

「自助、ご近助、公助」と言っている人もいるね。それにしても今回のような感染が拡大している中での「共助」のあり方は、難しいよね。

 

そうですね。「共助」には、どうしてもフェイス・トゥ・フェイスというか、フィジカルに寄り添う行動が伴いますからね。気軽に「お元気ですか?」と訪ねていくのも気がひけますし。

「自助」と「公助」のはざまで、地域の共同体を支える町内会などの中間組織による活動の難しさを、ひしひしと感じますね。また、コロナ禍の中で災害が発生した場合、「共助」としてのボランティア活動は、どうしても感染防止を優先して、控える傾向になりますもんね。

 

近所に「老人会で囲む週一回の麻雀だけが楽しみ」と言っているおばあちゃんがいるけど、ストレスたまっているだろうな。高齢者のコミュニティの場合は、やっぱり「ふれあい」がキーワードだもんね。

急に「オンラインで」って言われても、「まずはガラケースマホに変えなきゃ」というのが現状。デジタル政策の一環として、後期高齢者に「かんたんスマホ」を配ったらどうかね?

 

町内会や老人会は、本来「オフラインを前提としたネットワーク」ですからね。未だに回覧板を回していますし。でも、これを機にいろいろとチャレンジして適応していくしかないでしょうね。

 

町会のような地域の共同体が典型だけど、そもそも「オフラインであることに価値があった」社会的な活動は、今後どうなっていくのかね?オフラインでなければ成立しないコミュニティは、もうこの先無くなってしまう運命なのかね?

 

コロナの流行がずっと続くわけではないでしょうが、「コロナ的な災厄」が今後も襲ってくる可能性はありますよね。それも視野に、技術革新をともないながら、さまざまな分野でオンライン化が加速することは間違いないでしょう。

ですから町会などの共同体も、「時代の流れについて行けない」と諦めるのではなく、できることからオンラインで対応していくという流れは作った方がいいと思います。

 

町内会も、デジタルに強い若手の出番だね。

 

ただし、地域の共同体は「オフラインの人間関係を豊かにする」ことが目的であり、オンライン化は、そのための手段であるということを忘れてはいけないと思います。

オフラインのつながりを切り捨てた、オンライン・コミュニティにしてしまっては、手触りがある地域の共同体を持続させることは難しいでしょう。地域の共同体は「連絡網」ではなく「セーフティーネットだからです。

 

このさい一気に改革だ。ついてこれない者はもう知らない、淘汰されてもしょうがない、という考えが世間を支配するとコロナ以上に怖いね。デジタル新自由主義とでもいうような。

 

「オンラインが善、オフラインは悪」のような極端な発想にならないためにも、できるところはオンライン化してみる。

そして、オンライン化できない人が一人でもいる場合は、オンライン一本にシフトしないで、オフラインのコミュニケーションも手間がかかるが残しておく。

そしてそれらの人々がオンラインに順応できるようにしっかり支えていく。どうしても順応できないなら無理せずオフラインで対応していく。と、工夫していくことが大事です。

大人の発想で考えれば当たり前のことですね。共同体にいる人を「一人も取り残さない」という「包摂」の想いがベースになければいけないと思います。

 

今どきZoomもできないのはダメ、とか言うんではなくてね。活動の形態や構成員などの状況によって、「速やかにオンライン化するべき」「なるべくオンライン化を進める」「あえてオンライン化しない」かを判断していけばいいということだね。

 

会議もオンラインで効率性が高まることもあるでしょうし、低下する場合もあるでしょう。実際に経験したことですが、どんなに発想が素晴らしい人でも、オンラインのコミュニケーションが苦手であれば、本来取り上げるべき声が埋もれてしまうことがあります。

 

ボソボソ話しているけど実はデキるというヤツね。逆に、中身は無くともオンライン空間では存在感がある人の意見が通ってしまうとか。

イベントなども、オンライン化にすることで新しい価値が生まれる可能性もあるだろうね。世界同時につながるイベントとか。

「毒を変じて薬と為す」という言葉があるけれど、これを機に芸術やスポーツの可能性が開けるといいよね。コロナに負けない、というかコロナをバネとして、「人と社会を豊かにする新しい芸術文化の華を咲かせたい」と願うばかりだね。

 

筆者については・・・

 

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