答えを示す。あなたの想像力に委ねる。どちらのコミュニケーションがいいですか?
「THIS IS ITと広告コピー」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■):紅茶ください。
■マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」をあらためて観たけんだけど、あなたは観た?
■熱烈なマイケルファンではありませんが観ましたよ。マイケル・ジャクソン自身は、このコンサートの本番を迎えることができなかったけれど、そのリハーサルなどの記録映像で構成されたドキュメンタリー映画ですね。
■世界中のマイケルファンが、コンサートを観たかっただろうね。この映画自体は舞台裏を記録したドキュメンタリーだけど、マイケルファンにとっては、単なるメイキングではないよね。
まさか本番が実現しないことを予感して撮っていたわけではないとは思うけど。本番を観たかったという想いがますますつのるね。
■撮影時において「THIS IS IT」の製作が決まっていたのかどうかは分かりませんが、本番にいたるまでの記録を、何らかの形で発表しようとあらかじめ考えていたような気がしますね。
単に記録として残そうとしていたのだとしても、記録用のフッテージから再構築した構成力と演出という点で、単なるドキュメンタリーを超えた作品であることは間違いないですね。
■たとえコンサートが実現していたとしても、メイキングという意味とは別の意味を持つ作品だろうね。
この映画の演出は、予定されていたロンドン公演のクリエイティブ・パートナーのケニー・オルテガだから、彼の頭の中には、実現するはずだったコンサートのすべてのイメージが明確にあるわけだよね。つまり彼の頭の中ではコンサートは仮想でも実現していたはず。
それが頭の中にありつつ、このドキュメンタリーを作ったわけでしょ。これは勝手な想像だけど、マイケルが生きていたら実現していたコンサートのステージを、映画を観る人の頭の中で実現させようとしたんじゃないかな。
■今となっては、ケニー・オルテガ以外には、実現するはずだったコンサートの全貌は、誰も体験できないわけですもんね。
■実現していたらどんなステージになっていたのか、我々ファンは、この映画の中の要素から、それそれが想像するしかないよね。彼の過去のコンサートなども参考にしつつ。
■この映画はコンサートをめぐってのマイケル・ジャクソンの「人間」を描いた優れたドキュメンタリーであることは間違いないけれど、真のコンセプトは「それぞれのファンが想像力で創るコンサートの素材集」なのではないか。
「続きはあなたの想像力と創造力で」ということですね。
■マイケル・ジャクソンをどれほど愛していたか、どうとらえていたか、こちらの想像力によって、無限の可能性があるという。
世界中のマイケルファンに素材だけを並べて見せておいて「この先はみんなの想像力と創造力で創っていくのだ」とマイケルから託されたのだと。たとえば100万人の想像力と創造力で100万通りのステージが、それぞれの脳内に出現するということだね。
でも、想像力も創造力も無いから、やっぱり本場を観たかったなぁ。
■タイトルの「THIS IS IT」には「さあ、いよいよだ」という意味と、「もう、これで終わりだ」という意味もあると聞きました。だから、あの映画が人に与える意味もさまざまでいいんじゃないですか?
「ファンの想像力に託す」という意味で言うと、サザンオールスターズがヨコハマアリーナでやった無観客コンサートも、通常のコンサートに劣らないスケールで実施しましたね。
無観客なのだからアーティストだけグリーンバックで撮って、ステージ演出はすべて壮大なCG合成でも成立するわけですよ。それをヨコハマアリーナで、フルスタッフで、通常のコンサートと同じスキームでやった。
「このコンサートに欠けているピースは、あなただけ。想像力と創造力でそこにハマるのだ」というメッセージなんだと思いましたね。
■また、そういう出まかせを。サザンのコンサートの様子の番組は、チャーハン食べながら観ていたけど、ヨコハマアリーナにいたという想像力は働かなかったね。
■そういう夢のないことを言っては困ります。ついでに広告の話になりますが、かつては「答えはあなたの想像力で」という、受け手に答えを託す表現は多かったのですが、今は「答えはこれです」という直球が多い気がします。
■変化球というか文学的な表現だと、別の商品でも当てはまっちゃうからじゃない?「売れるコピーの書き方」みたいな本を立ち読みしたけど、POPの順列組合せマニュアルという感じだったね、いずれAIに取って代わられるような。
■AIに取って代わられるという意味では、僕が駆け出しの頃、不動産に特化した広告代理店のコピー生成システムがありました。物件の条件を入力すると、最適なキャッチとボディコピーが自動生成されるという。
コピーも、AIで十分なものと、人の創造力が必要とされるものに二極化されるのかもしれませんね。仲畑貴志さんの「知性の差が顔に出るらしいよ・・・困ったね。」という新潮文庫のコピーがありますが、「困ったね。」の部分は、AIには書けないでしょう。
■たしかに「知性の差が、顔に出る。」とかでもいいわけだもんね。でも数百円の文庫本としてはちょっと大げさというか上から目線かも。「らしいよ・・・困ったね。」と言われると、その人柄が浮かんできて、とたんに距離が縮まるんだね。
こちらの想像力を喚起するコピーには、なかなか出会えないね。あなたには期待していないけど。
「マンスプレイニング」にならないために。広告は、誰が言えば共感される?
「語りたいの?伝えたいの?」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)紅茶ください。アッサムで。
■今朝うちのヨメとケンカしちゃってさ。あ、ヨメじゃダメか?ワイフとケンカしちゃってさ。「あんたの説教は聞き飽きた」って。
■まあ、ほとんどの男の話は上から目線で説教臭いんじゃないですか。そういうのを「マンスプレイニング」と言うんですね。「man=男」と「explain=説明」という言葉の合成語ですね。
ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」では「かばん語」と言っています。二つの言葉をかばんに詰め込んだということですね。
■要するに「マンスプレイニング」って、男が女に偉そうに語るということ?上から目線で「俺の方がお前より物知りだぞ」と。
■もともとは「女性は物事を知らないとする差別意識」のことですが、広くは「男性が女性を見下して解説する態度」のことを指します。
僕は、もっと広く「他人を見下して説く態度」をマンスプレイ二ングと言ってもいいかと思います。会議でも、そういうマンスプレイヤーがたまにいますよね。知っていることはクドクドしゃべるけど、逆に知っていることしか言えない。
■いるね、そういう人。とにかく自分の土俵で勝負しようとするんだよね。
■とにかく自分が知っていることを話したくてウズウズしているので、何か糸口を見つけると、そこに食いついて講釈が始まるんです。でも、そういう人に限って、みんなが驚くような未知の情報なんか持っていないことがほとんどです。
会議でその人が語りだすと、そこで流れが止まってしまうので困るんですよ。その先を議論したいのに。その長広舌の中に有効な要素があれば、まだ救いはあるんですが、ただその人が語りたいだけの情報なので、時間のムダというか。
■朝までやってる討論番組で、議論の流れを進めるのではなくて、とにかく自分が知ってることをしゃべりたおす人っているよね。あれもマンスプレイニングかな?
■討論番組も、噛み合わない知識開陳大会になることはありますね。それは、その討論で何かの答えを出そうという意識で参加しているわけではないからでしょう。他人の発言を上手に遮るテクニックや、他人の発言を引き取ったように見せかけて自論に持ち込むのが得意な人が有利です。
広範な社会的テーマへの答えを本気で見つける場合は、一見畑違いと思われる分野の専門家も入れて議論した方が良いこともあります。
コロナ対策しにても、ウイルス学や感染症の基礎や臨床の専門家はもちろんですが、心理学、経済学、統計学、社会保障、流通、教育、リスクコミュニケーションの専門家、もしかしたら外交や気象の専門家がいてもいいかもしれません。
■シン・ゴジラの「巨災対」みたいな座組かな。話を戻すと、身近にも話の流れとは関係なく、ひたすら自分のことを言い合っているグループってあるよね。噛み合ってないのに不思議と会話は進んでいくんだよね。
うちのお客さんでも「ここのコーヒー、高いわりにまずいと思わない?」「あらそう。で、メロンパン買ったのね」「ほら、コーヒー1杯600円って。それにちょっとぬるいし」とかね。
■そういうおしゃべりは全員がハッピーで、誰も損していませんが、「マンスプレイニング」の場合は、語った方は「勝ったぞ」と自己満足し、聴かされた方は「ウザかった」だけなんですね。コミュニケーションのハラスメント。
■さっさと離脱しちゃえばいいのに。
■それができない人間関係の中で語られるから「説教」なんです。広告だったらチャンネルを変えたり、スキップしたりできますが。
■たしかに、CMで「これからは、こういう時代なのだ。だから教えてあげましょう」とか上から目線で言われると「よけいなお世話」と感じることはあるね。
■広告コミュニケーションと「マンスプレイニング」の関係で言うと、広告は「消費者にモノやコトを提案する」ことが多いので、注意が必要ですね。
企業という、ただでさえ偉そうな存在から「教えてあげる」と言われると、企業側にそんなつもりはなくても、受け手は「マンスプレイニング」ととらえがちです。
そこで、国民的なタレントとかアニメキャラクターに語らせて、少しでも上から目線をそらしていくわけでです。
■タレントとかキャラクターの好感度に頼って、目線を下げようとするわけね。
■逆に、識者や専門家に語らせて、客観性や説得力を持たせるという手もあります。専門家が語る情報は、マンスプレイニングとは受け取られないでしょう。あくまで語り口は誠実で丁寧でなければいけませんが。
■専門家の説得力に頼って、上から目線を気にならなくするわけね。
■さらに、経営者とか社員などバリバリの企業側の人間に語らせたりもします。この場合は当然、実在の人物でなければいけません。
経営者の場合は、本人がコミュニケーション達者である場合は、しっかりクリエイティブして世界観を創った方が勝算があります。トヨタの「トヨタイムズ」のように。
■昔、メーカーの会長がカメラ目線で「ピップエレキバン」と言うシンプルなCMがあったけど。
■あれは経営者が「語る」わけではなく、いわばキャラクターとしての登場です。味のある方なら、そういう起用の仕方もありますが。また、高須クリニックのCMの高須院長は、文化人タレント枠なので別格です。
経営者や社員が自社のことを語れば、それは受け売りではないと言う意味で「マンスプレイニング」とは受け取られにくいでしょう。その場合も、ストレートトークでは政見放送になってしまいますので、クリエイティブをしっかり考えていきたいものです。
■「技術って、人柄です。」という、日立の技術者が語っていく名作CMもあったよね。
■そうですね。あのCMの好感度が高かったのは、実在の技術者を使ったからですね。皆さん、素人丸出しのぎこちないセリフで、そこがいかにも誠実そうでした。「優れた技術を創り出す企業の人柄」「人を大切にする企業理念」が、強いリアリティとして伝わりました。
これを役者に演じさせると、上手く演じるほど、逆に「リアルを演出した」感じがして、結果としてウソっぽくなってしまいます。
■タレントが社員の役で出てきて、企業理念などを語るCMを見ると、いくら自信にあふれて誠実に語られても「コンテ通りに演じているわけでしょ」と思っちゃう。
企業側の人間をタレントに演じさせる場合はわかったけれど、それとは逆に「普通の人の普通の日常を描くCM」の場合のタレント起用はどうなの?
■「普通の日常を描くCM」にも、商品やサービス、企業理念などの企業のメッセージが込められるわけです。それを短い秒数で切り取った「日常」の中で語るわけですから、まず何と言っても「日常の設計」が大事でしょう。
その設計には「キャスティング」も含まれます。キャスティングには2つの考え方があります。まず舞台では活躍していても、テレビには出演しないような「顔が知られていない役者」をキャスティングする。次に「有名な役者」を起用する場合です。前者の方がリアルな日常を描けるように思えますが、そうとは限りません。
視聴者はCMが「演じられた虚構」であることは先刻承知です。有名な役者が演じた場合の読後感は「日常を描いたドラマ」ですが、匿名的な役者さんがリアルに演じた場合は「作られたリアリティ」という読後感になってしまうこともあります。
■相続をめぐる葛藤がリアルに描かれる再現ドラマ風のWEBCMで、知らない役者さんが熱演してたけど、あまりいい気分はしなかったな。有名タレントが演じていたら違う読後感になったかもしれないね。
■そうですね。日常を描いて成功したCMに東京ガスのシリーズCMがあります。料理にまつわる家族の日常を描いたものです。もちろんストーリーも演出も素晴らしいんですけれど、芸達者で有名な役者さんをキャスティングした「質の高いドラマ」として作り込み、感動を誘い込みました。
あえてドラマであることの記号となる、名のある役者を起用したことが成功の因だと僕は踏んでいます。「あの人が演じるお母さん、やっぱり味があるよね」など、より心に残る読後感を与えることができたのだと思います。
普通の人々の日常をCMとして描く場合は、あえて虚構のドラマとしての世界観とストーリーを作り込み、それを支え深められる名実ともに備わった役者さんに、役として演じ切ってもらう。そう振り切ることがコツだと思います。
心を動かすストーリーもさることながら、キャスティングの考え方が重要なポイントとなるわけです。
■なるほどね。話は「マンスプレイニング」からだいぶ逸れたけど、たしかにあなたの話自体は、しっかりマンスプレイニングになってきたね。
そのソリューションは、世の中を巻き込めるのか?本屋大賞で考える。
「コロナ克服の物語を」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)カフェオレください。
■新型コロナの感染拡大にともなう「GoToトラベル」への東京都の対応が決まったね。「65歳以上と基礎疾患がある人は利用自粛をお願いする」ということだけど、65歳以上とした根拠って何なの?感染者数は「60代とかの年代で発表している」わけだし、あえて65歳と刻んでくるからには何か科学的根拠があったのかね?
■65歳以上としたのは、人口統計で65歳からを「前期高齢者」と区分しているからでしょう。制度的に「65歳以上、基礎疾患のある人のキャンセル料はかからない」とするためではないですかね。当たり前ですが「65歳未満の人は感染的に安心」というメッセージではないですよ。
キャンセルの際に、年齢や基礎疾患の有無については自己申告で良いらしいので、ざっくり言うと「健康上の不安を抱えている人は、どうぞ安心してGoToキャンセルしてください。そして新たに予約しないでください」というメッセージかと思いますが。
■あたしは64歳だし心臓病もあるので、要請されなくても自粛していたけどね。高齢者や基礎疾患があるような、もともと自粛していた層に対して重ねて自粛を促す対策って、対策と言えるの?
「行動したい人を止める」とか「行動しない人を動かす」というのが、対策とかソリューションだと思うけどね。「行動しない人を止める」のは「対策」というより余計なお世話というか。
■マスターの気持ちは分かりますが。まあ、元気な高齢者も含めて、リスクが高い層を守るために改めて注意喚起したという効果はあるんじゃないですか?キャンセルを処理する旅行会社などの現場は大変でしょうが。
■感染予防のためには自粛的な話ばかりになるのはしょうがないけど、なんかこう皆が主体的に「よし、それならいっちょやってみるか!」という気になるような、コロナに負けないソリューションは創れないものかね?
皆がベネフィットを実感できて、分かち合えるようなプロジェクト。即時的な効果だけじゃなくて、継続的な効果も期待できるような。
■コロナとは全く関係ないですが、たとえば博報堂ケトルさんによる「本屋大賞」というプロモーションがあります。
ざっくり言うと「書店でもっと本が売れる」ようにという課題に対して、直接的に「本を買おう」とか「何かがもらえる」というキャンペーンではなく、「書店員が選ぶ文学賞」を立ち上げたんですね。
これは、日ごろから書店の現場で多くの書籍を売っている店員さんたちが「読んでもらいたい」という視点で選ぶ賞です。芥川賞や直木賞など権威ある受賞作だけではなく、「書店員として薦めたい本がある」という想いを反映したものでした。
書店員さんこそ毎日多くの本に接していますし、そういう目利きの人たちが薦める本ならば読んでみようという気になりますよね。
■店員さんの手書きのポップとか、つい読んじゃうもんね。アマゾンの評価欄よりも、本への愛が感じられる気もする。
■本屋大賞は、書店の現場のモチベーションがアップして、売り場の活性化にもつながる結果ももたらしました。実はこれが最も大きな収穫だったんじゃないでしょうか?
つまり「本の売上げアップ」という課題に対して、即効性がありそうな、広告を打つとかポイントキャンペーンをやるとかではなく、「書店員が主役になる、売り手と読み手をつなぐ、書店を活性化する、それを恒例化する」という、ストーリーのあるコンテンツを創って解決しようとしたわけです。
ソリューション自体をコンテンツ化すれば、そのコンテンツに関わる皆を巻き込んでステークスホルダーにすることができるでしょう。
皆が当事者になる、自分ゴト化していくソリューションです。即効性を追うのではなく、物語性という「コミュニケーションの構造」を構築していくソリューションですね。
■結果をゴロンと与えられるのではなく、「いっしょに物語を作っていく」感じかな。店員の声がヒットを産み出していく、自分の声が形になったというのは、何よりうれしいもんね。
■そうですね。それがたとえば1万人の声であれば、とりあえずその1万人は選んだ側なので薦めてくれそうです。商品の場合でも、100万人の声で作れば、その100万人は買ってくれそうです。
■AKB48グループとかね。
■秋元康さんという「仕掛人」はいるのですが、「皆で作り育てていく物語」ですね。本屋大賞の場合は、その賞の成り立ちについて書籍化するなど積極的に発信しています。
どんな人が、どんな想いで、どうやって作ったのか。そういった仕掛けの物語も込みで「本屋大賞」なんだと思います。「ソリューション自体のコンテンツ化」と言ってもいいでしょう。
■昔は仕掛人って表に出てこなかったけどね。影の存在というか。
■今は積極的に出てくることが多いんじゃないでしょうか。その方が関心が増すし、プロモーションのチャンスも増えますしね。
しかし一方、仕掛人が可視化される場合は、「この課題にそう来たか!やるね!」というような、仕掛けられる側が気持ちよく仕掛けに乗れる「手口の鮮やかさと深さ」がないと逆効果になる危険があります。
■話が古いけど「マスクを2枚配る」ソリューションとか?ソリューションには、その課題にどんな決意で向き合い、深く考え、どんな便益をもたらしたいのか、時代や社会をどう認識しているのかといった、ソリューションを提供する側の想いが現れてしまうんだね。
■その想いに、皆が共感しリスペクトするんですね。「プロジェクトX」で描かれる「地上の星」たちみたいに。
■たしかに「プロジェクトX」は「人の物語」だよね。台湾のコロナ対策の取り組みは、天才IT大臣という「人」の存在も込みでの物語とも言えるね。
■コロナの時代にあって、対症療法的な即効性のあるソリューションは当然大事ですが、皆が登場人物としてストーリーを共有できるような、物語性のあるソリューションを創っていくこともまた重要だと思います。
成人病を「生活習慣病」に。言い換えると伝わるもの。ネーミングの価値変換力。
「その言葉に想いはあるか?」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)紅茶ください。アールグレー。
■そろそろ節目健診なんだけど、ここんとこコロナ太りで、血糖値とかガンマなんとかが心配なんだよね。成人病なんじゃなかいかって。
■成人病は、今は「生活習慣病」って言うんですよ。日野原重明先生のネーミングですね。
■そういえば「成人」という言葉はあまり使わなくなったね。今は成人式くらいか。昔は成人映画とかあったけど、今もあるの?
■今は「R18+」と言いますね、18禁。ただし映画の「R18+」はずばり年齢制限ですけれど、「成人病」という場合は、加齢にともなってかかりやすくなるさまざまな病気のことで、だいたい30代、40代が対象じゃないでしょうか。
■「生活習慣病」って、成人病を言い換えただけなの?
■基本的にはそういうことなんでしょうが、この2つのネーミングから受け取る印象は全く違いませんか?かたや「大人になったらなる病気」。かたや「生活習慣による病気」。
成人といういわば「ヒト」を、生活習慣という「コト」化したために、まさに生活の中で自分ゴトとして関心が持てる言葉になったんじゃないでしょうか。
■たしかに「大人の病気」じゃ防ぎようがない感じがするけど、「生活習慣が原因の病気」なら、防ぎ方までイメージできるもんね。悪しき生活習慣を改めればいいのか、と。
■単なる言い換えではなくて、意義がガラっと変わったんですね。対象も大きく広がった感じがします。「生活習慣が病気の原因になる」というイメージが定着すれば、大人じゃなくたって「生活習慣には気を付けなけりゃ」となるわけだし。
■ネーミングを変えただけで、より身近になったというか、深刻になったというか。今どきの病気という感じもするよね。病気の本質をズバリと言い当てたネーミングだね。
逆に、本質をあいまいにするネーミングもあると思うけど。フリーターとかニートとか。カタカナにすると何となくカッコよく聞こえて本質が隠れてしまう、と言ってた人がいたような。
■海外の研究者が名付けた専門用語だったり、日本語にすると微妙な意味が変わってしまうので、訳しきれなくてカタカナのままという場合もあるとは思います。
■訳せない場合はしょうがないけど、カタカナにしてカッコよく見せるのは、日本人の良くないクセじゃない?あなたも、やれコンセプトだのエビデンスだのベネフィットだの言うけど。
■「コンセプト」は、ちょっと一言では日本語に言い換えにくいですね。いっとき「わが社のコアコンピタンスは」とかもよく聞きましたが、多くの人は正確には分かっていなくて言っていたんじゃないですか?今やあまり聞かないですけど。
■この前、たしかあなたが「情緒便益」って言ってたけれど、「エモーショナルベネフィット」よりグッとくるね。なんかありがたい感じがするというか。
■なるほど。企画書にもあえて「情緒便益」って書いた方が、一周回って新鮮かもしれませんね。でも、やっぱり一言で日本語に置きかえられない言葉ってありますよね。
たとえば身近なところでは、スマートフォンの「スマート」だって、それこそスマートに日本語に言いかえてピッタリくる言葉はないんじゃないですか?
■スマートって厚さが薄いってことでしょ?違ったっけ?
とにかく、カタカナにすると意味が薄れるということを、あたしは言いたいわけ。「クラスターとかロックダウンとかオーバーシュートとか言ってちゃダメだ」と言ってた大臣がいたけど、一理あるよね。
本当に伝えなきゃいけない、リスクの高い高齢者に分かりにくい言葉を使うこと自体がどうかと思うよ。「ダンス・アンド・ハンマー」だっけ「ハンマー・アンド・ダンス」だっけ。もうあたしらには、ついていけない世界だね。
現についていけない人にとっては、「あなたは、ついてこなくて結構」というメッセージに聞こえるね。コミュニケーションってそういうことでしょ?
■現にそう受け取る人がいたのだったら、その通りなんでしょう。というか、そういう人がいることまで想像力を働かせて発信するのが、正しいコミュニケーションなんだと思います。
「ホワイトカラーエグゼンプション」と言うと、なんかとってもスマートで先進的な働き方のイメージがするけれど、これって日本語にすると「頭脳労働者脱時間給制度」なんですね。漢字ばかり11文字も並ぶと、かなりハードな制度という感じがします。こっちの方が制度の本質は分かりやすいですね。
■「ずのうろうどうしゃだつじかんきゅうせいど」か、なんか早口言葉みたいだね。言いにくいから、ホワイトカラーなんとかにしたのかね?ま、それはそれで言いにくいけど。
■日本語から日本語の言いかえでも、専門用語を分かりやすく開くと、意味が薄れてしまうこともありますよね。
ずいぶん前の仕事ですが、「地層処分」のCMの中で「高レベル放射性廃棄物」のことを「核のごみ」と言ったら、あるテレビ局から「その言い換えは本質を分かりにくくするから認めない」と指摘されたことがあります。
■さっきニュース番組を見ていたら、普通に「核のごみ」って言ってたけど、テレビ局の規定が変わったのかね?
それにしても、生活習慣病と名付けた日野原先生のセンスはすごいね。時代に合致して本質を言いえて、しかも意味を強化しているという。
健康に関係ある言葉と言えば、このあいだ「フレイルを予防しましょう」って言われたんだけど。「フレイル」って初めて聞いたよ。
■要支援・要介護になる前の、機能が衰えている状態を「フレイル」と言うんですね。フレイルの予防は、要介護状態にならないための重要な取り組みとして注目されていますね。国や自治体が積極的に進めています。
■そう聞くと、フレイルも一言では日本語に訳しにくいことは分かるね。でも、学術用語としてはフレイルでいいと思うけど、当事者である高齢者には今一つ分かりにくいね、切実さも伝わってこないんだよな。
なんか楽しげな響きさえあるもんね、お菓子の名前にあっても不思議じゃないような。「ふわふわフレイル、チョコ味新発売」とか。
■ははは。フレイルに深刻さを感じにくいのは、ネーミング的には濁点がないということが関係ありますね。フレイルとかフリーターとか、なんか軽やかな感じでしょ。一方、ドメスティックバイオレンスには濁点があるので重い感じがします。
■メタボリック・シンドロームとかもね。
■フレイルについては、深刻さを感じないという弱点もありますが、何より当事者がピンとこないという点で、これからも流通しにくいでしょうね。日野原先生なら何と名付けたでんでしょうかね?
クリエイティブは企画でハマり、現場でもハマる。でも、そこが面白い。
「なんとかする楽観主義で」
マスター(以下■)コーヒーお替り、どう?
わたし(以下■)あ、お願いします。
■さっきからパソコンの前でフリーズしているけど、行きづまったかい?
■企画書の流れはできていたのですが、こうやってパワポでまとめていくにしたがって、うまく流れていかないと思い始めて、ページの前後を変えてみるか、変えるとその前段も書き直さないといけないのでやっかいだな、それだと結論までが遠回りになってしまうな、とか堂々巡りしています。
■ハマってる状態ね。そうやって迷ったあげく、結局、最初のものに戻ったりしてね。
■たしかに一晩寝かせると、そういう結論になるってことはよくありますね。
■ハマっちゃった時は、どうやって抜け出すの?
■そうですね。担当の営業さんに見せて意見を聞いてみます。彼ら彼女らは、クライアントの感覚に近いので。特に若手の営業さんから、率直に言ってもらって抜け出せることは多いですね。
ハマった状態をベースにいくらがんばって展開しても、客観的に見ると一人よがりで共感を得られない場合が多いですね。周りに意見を聞くことと、独創性があることとは矛盾しません。その意見を丸呑みするわけではないですから。平凡な企画に丸めていくということでもありませんし。
■自分の殻の中で考えていても、堂々巡りから抜け出せないということね。企画書の段階でハマるというのは分かったけど、そもそも企画そのものが膠着することがあるわけでしょ?コピーが秒数内に収まらないとか、タレントからNGが出ちゃうとか。
■それはありますよ。というかしょっちゅうです。そういう場合も、なんらかの出口は見つかるものです。どうしても脱出不可能な場合は、どこかで誰かが妥協して出口を開けるしかないわけですが、やはり最後は案件のハブである広告代理店が調整します。費用的な面も含めて。
■真ん中にハマって、トラブルとかを調整するのも広告代理店の仕事ということね。
■ざっくり言うとそんなところです。コンサルティングして手離れするなら、そういうトラブルとは無縁でしょうがね。
クリエイティブの実務について言うと、広告制作の現場は生モノなので、汗をかかないと前に進みません。クリエイティブの現場って、そんなにスマートなわけじゃないんですよ。クリエイティブディレクターは、そんな課題の中心にいるので、ストレスは大きいですね。
■あなたは、そういう困った経験はあるの?
■けっこうあります。直近のことは差し障りがありますので、ちょっと前の話ですが。たとえば、あるブランドのリニューアル・プロジェクトだったのですが、クライアントの指名で、あるフランス人女優を起用することになりました。
国内のエージェントに伝手が無く、調べていくとどうも彼女の友人がマネージメントしていることが分かりました。やっかいなパターンです。出演交渉が大変でしたが、了解が得られました。
それではということで、シャネルのCMを撮ったフランス人の監督を起用し、ディレクター・オブ・フォトグラフィー、いわゆるカメラマンには「リバー・ランズ・スルー・イット」でアカデミー賞をとったフィリップ・ルースロをつかまえ、ハリウッドロケを敢行しました。
■なんか、とってもゴージャスな感じだね。あなた、お茶漬け海苔のCMとか作っているだけじゃないのね。
■今回はリッチなブランドですので。で、女優本人と、ディレクター、プロデューサー、そしてクライアントと僕の想いが、仏語、英語、日本語で交錯して、ややコミュニケーション不調に陥ったことも原因ですが、予期せぬトラブルも重なってコストもふくらみ、その真ん中でハマってしまいました。
たとえば、撮影直前になって、その女優がワーキングビザを持たずにアメリカに入国していたことが発覚。撮影を中止して、すべてのスタッフのスケジュールを仕切り直しました。ちょっとした映画並みのスタッフィングであり、アメリカはユニオンの力が強いので、プロデューサーはさぞや大変だったと思います。
■なんでビザ持ってなかったの?
■彼女は、たまたまCM撮影の1週間前に行われていたアカデミー賞の授賞式を観るために、観光ビザでアメリカに入国していたんですね。で、そのまま撮影に臨む気でいたわけです。でも、仕事となればワーキングビザでないと違法です。
■それは、うっかりしたというか、焦るね。
■しかし、ビザ取得のためだけにフランスまで往復するのも、時間がかかるし大変だろうということで、最短で合法的にビザを取得するために、ハリウッドセレブご用達の弁護士に相談したりしました。
結局、あれこれ申請書類を発行してもらって、本人をカナダのアメリカ大使館まで連れていってビザを発給してもらいました。
細かいことでもいろいろありまして、たとえば衣装についても、彼女が着たいものと、監督が着せたいものと、クライアントの好みが噛み合わなくて、大フィッティング大会になったり。まあ、そんなことの連続で、コストが膨らむ方向のみで。
■他人事だと面白いね。
■アメリカのプロダクションのプロデューサーが、自らも映画監督であり、フランス語、英語、日本語を話す極めて優秀な方だったので、本当に助けてもらいました。カメラを回せたのは彼のおかげです。
撮影現場ではDP、ディレクター・オブ・フォトグラフィーのフィリップ・ルースロの存在感が大きかったですね。スタッフからのリスペクトがハンパないですし、ライティングを決めるのがすごく早くて驚きました。
監督が若手だったこともあって、彼が現場をまとめる柱になっていました。そして、なんといっても営業の責任者が「まあ、なんとかしようぜ!」という極めて楽観主義な方で、なんとかなりましたが。いま思い出しても心が痛いです。
■作品的には、どうだったの?
■それはもう、何といってもフィリップ・ルースロの映像美の世界。さらに、オリジナル曲を服部隆之先生にお願いし、ブランドイメージの構築に貢献するCMになりました。
■よかったね。今のは極端としても、他には?
■昔の話しですみませんが、僕がCM制作に携わったばかりの頃のことです。亡くなった志村けんさんが、ご自身の歌に合わせて踊るエアコンのCMです。
シリーズだったのですが、1作目、2作目あたりまでは、志村さんのアドリブで踊っていただいていました。振り付けの先生をつけるより、その方が面白いだろうと思いまして。志村さんも快くやっていただいていましたので、我々も何の疑問も無かったんですね。
で、3作目あたりだったでしょうか、「今まではアドリブでやっていたけど、本来、振り付けはちゃんと演出するべきものだろう。それを毎回、何とかしてくださいとお任せにするのはプロ意識が無い」と叱られました。
■調子に乗っちゃったのかな。でも、志村さんに振り付けするのも恐れ多いと思うけど。
■それを志村さんは「プロ意識がない」と感じられたんですね。で、「こんなのはどうでしょう?」「こういうのでは?」とか、僕もその場で色々とりなしてみたのですが、どれも鋭い目つきで無言で首をかしげられ、ほんとに怖かったです。ああ、やっちゃったなと。
■そんな、あなたみたいなセンスの無い人がやったら、火に油でしょ。
■ですよね。結局その日はまとまらず、日を改めて再撮となってしまいました。で、次はしっかり振り付けの西城先生を呼んで、志村さんもノリノリで踊っていただき、無事撮影できました。
西城先生も「志村さんは、CMのクオリティを考えると、自分がアドリブでやるより振り付けのプロに任せた方がよくなるのに、それを軽視したことが許せなかったんだろう」とおっしゃっていました。
その顛末は、後日、志村さんが持っている雑誌の連載で語られることになり、そこでもやはり、仕事に対するプロの姿勢について厳しいお言葉をちょうだいしました。
■雑誌に書くとは、よっぽどだったんだね。ドリフターズがそうだけど、志村さんは笑いを真剣に設計して作っていく方だと思うよ。それが分からず、いわば笑いの求道者に対して「現場で適当になんとか」と言うことが失礼だったね。
■こちらとしては、志村さんの芸をリスペクトする想いでのお願いだったのですが、志村さんから見ればプロとして失格だと。相手をリスペクトするなら、こちらの案をしっかり示してぶつける。それがプロ同士の礼儀だと教わった一件でした。
東京都、会食時の「5つの小」要請。ウィズコロナの日常で生まれる「おひとりさま」と向き合う。
「新・おひとりさま誕生」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)コーヒーください。あれ、お店のレイアウト変えました?
■そう。とうとう東京の新規感染者も500人を超えたしね。テーブルにつき椅子一脚という、一人掛け席を増やしたよ。密度を低くするということもあるけど、「おしゃべりは控えてね」という意味で。そういえば、小池都知事が会食時の留意点として「5つの小」を発表したね。
■「小人数」「小一時間程度」「小声」「小皿」「小まめにマスク、換気、消毒」の「5つの小(こ)」ですね。6つめの「小」は「小池のお願い」というオチでしょうか。SNSとかでいじられるのを狙っているとしたら「やるな」という感じですね。
■「小一時間」にはレトロなセンスを感じて良いね。でも若い人はあんまり使わないんじゃない?そして「少人数」とは言わずに、無理やり「小人数」とはよく考えたね。都知事からの要請というより、給食当番からの注意みたいで、「小」学生には分かりやすくていいんじゃない?
■またそういう皮肉を。覚えやすく工夫してくれているんじゃないですか。しっかり守らなきゃいけませんよ。小池都知事の言葉のセンスはともかく、もともと一人客が多かったから、一人席にしてもあまり違和感ないですね。ゆったりしていて、いいんじゃないですか「おひとりさまカフェ」。
■「おひとりさま」って、一人で行動するのが好きな人のこと?
■もともと「おひとりさま」とは、生涯独身の女性のことを指していました。シングルライフを謳歌するというポジティブな意味を込めて。でも、今は「一人でいることを楽しむ人」というように、もっと広い意味で使われることもありますね。
■ああ、孤独のグルメね。
■一人を好む人は昔からいたんですが、そういう人たちのことも「おひとりさま」と呼んでみたんですね。元来の「おひとりさま」は人生観で、単なる行動様式ではないのですが。ともあれ、するとそこに「おひとりさまマーケット」ができたんです。
積極的に単独行動を楽しむ人たちの欲求をつかんだマーケットですね。たとえば「おひとりさま旅」とか「おひとりさまグルメ」とか。独身者向け市場というわけではありません。
■ひとり焼肉とかも、そうなのかな?まさに孤独のグルメ。
■孤独のグルメのおかげで「一人めしはわびしい」というイメージは無くなりましたね。「おひとりさま」というのはネガティブなことではないと。
■五郎さんの風情が、わびしくないからっていうのもあるんじゃない?それに五郎さんは経営者だけど、自ら営業マンだよね。もともと人嫌いというわけじゃないだろうし。
■確かにキャラクター設定のうまさや、松重豊さんというキャスティングの妙もあるでしょうね。でも、なんといっても成功の要因は、一人めしという孤独な外形と、自身と対話する内面的な世界の豊かさのギャップが描かれているからでしょう。
孤独のグルメが五郎さんの「おひとりさま」世界だとすれば、「おひとりさま」とは見た目は孤独だけど、その人の中には想像力の豊かな世界が広がっている状態ということですね。
■ほんまかいな。
■タイトルも「孤独なグルメ」としなかったところが深いですね。「孤独な」だと「一人だけで食べるグルメな人」という外形を言っているだけですが、「孤独の」とした言葉の底に「孤独を愛する人の」グルメとか、「孤独だからこそ分かる」グルメとかの意味が秘められているからです。お、いいこと言ったような気がする。
■思いつきでテキトーなことを。
■ポジティブに一人であることを楽しむ、ツルまない自由な解放感、自己との対話、内面を見つめる時間を大切にする人のための商品やサービスを提供するのが「おひとりさま市場」と呼びたいですね。
■「おひとりさま」っていえば、ソロキャンプが流行ってるらしいけど。あたしらが林間学校とかでやってた、わいわいキャンプファイヤー囲んで歌っちゃうのとは逆のキャンプだよね。
■マスターのキャンプのイメージも、また古いですね。ソロキャンプは確かにブームのようですね。本もたくさん出ているし、ソロキャンプYouTuberとかいますもんね。軽バンに車中泊してカップ麺食べて帰ってくる人、ミニマムな装備でサバイバル的に自然に溶け込む人、道具や料理に凝る人、自分専用の山を買っちゃった人もいます。幅はありますが、それぞれに良さがありますね。
僕も大学の頃はソローの『森の生活』の世界にあこがれて、フラッとバックパック担いで奥多摩まで行ったりしていました。テント張って、川の水で割ったウィスキー飲んで、昼寝して帰ってくるという、だらけた感じでしたけど。ただ、日本ではどこでもキャンプしていいというわけではありませんので注意が必要です。
■確かに一人の方が、自然との対話というか一体感はあるんだろうね。でも、ひっそりとソロキャンプするのは分かるけど、それを、YouTubeで公開するのはソロ感がないような。「ソロをシェアする」ってことでしょ?
■別にいいんじゃないですか?SNSとかって、そういうものですからね。
■ふーん。コロナの影響で、世の中全体に団体行動は少なくなっているよね。「おひとりさま」は増えていくのかな。あたしはキホン一人が苦手なので、ソロキャンプは無理。やっぱりキャンプファイヤー派。ところで、あなたはオンライン会議とか飲み会とかはやっているの?
■オンライン会議はよくやりますよ。会議室でリアルにやっていた時は、居眠りしている人とか、スマホをいじっている人とか、鼻ほじっている人とかいても、なんとなく風景の一部と化していたので、そんなに気にならなかったですけれど、ビデオ会議だととたんに気になりますね。一つのフレームの中に一人の顔がありますから。
それに、今までは合いの手を入れるだけでも会議に参加してる感があった人が、それを封じられて終始無言で、存在感が無くなってしまって「ちょっと悲しいな」ということもありますね。
■それは悲しいね。「そういう人はいらない」ってなっちゃうと、さらに悲しいね。オフラインだったら、いい感じのムードメーカーだったりするのかもしれないのにね。
■オンライン会議だと、どうしても無駄口をききにくいクールな進行になりがちですからね。合いの手入れた人が「すみません、音声ミュートにしてください」とか注意されたりして。合いの手も、微妙にタイミングがズレて決まらなかったり、流れを乱すというか。オフラインなら良い潤滑油になるんでしょうが。
■オンライン飲み会は?オンライン飲み会って、今まで一堂に会して飲んでたのを、それぞれ別の場所で飲んでるだけでしょ。飲み物も食べ物もバラバラで。オンラインにしてまでツルんでて楽しいのかねと思っちゃうけど、あたしらオヤジは。
■いや、「あえてツルむ」っていうことが、今こそ大事なんじゃないですか?オンライン飲み会といったって、ずっとおしゃべりしながらとか、同じ動画を見ながら飲んでいるわけじゃなくて、オンラインでお互いの気配を共有しているけど、それぞれが別のことをしながら飲んでいるということもあるようですし。オンラインもくもく会みたいに、それぞれが別の場所で黙々と仕事をしていても、オンラインでつないでいる方がはかどるとかいうこともあるようですし。
コロナを機に、オフラインであれオンラインであれ、もう誰かとつながること自体がめんどくさいというかネガティブな社会に固定されてしまう方が、僕は怖いですけどね。そういう意味で、オンライン飲み会はどんどんやっていいんじゃないですか。ソロキャンプは「日常ありきでソロという非日常を楽しむ」場ですが、「日常そのものがソロ化していく」のは、どうもね。
■オンラインでも何とか誰かとつながっていたいという人と、もうつながること自体がめんどくさいのでいつも一人でいる、という人に分かれていくのかね。または、オフラインだったからこそなんとか人とつながることができていた人が、オンライン化によって関係を絶たれてしまうとか。
■誰かと「つながっていたい人」と、誰とも「つながりたくない人」と、誰とも「つながれない人」が固定化してしまうことも考えられます。そのような人たちを支える新しい「おひとりさま」向けの市場やサービスが生まれていくのかもしれませんね。
AIやドローンもワクワクするけれど、「ありもの」の「やりくり」でも世界は豊かにできる。
「引き算で新ジャンル」
マスター(以下■)いらっしゃい。
わたし(以下■)カプチーノください。
■はい。そういえば新メニューを考えたんだけど、これどうかね?
■へえ、どれどれ。「サンドシナイッチ」ですか。
■そう。サンドしていないサンドイッチということで「サンドシナイッチ」ね。まあ、オープンサンドに似てるけどね。
■サンドシナイッチって、もうありますよ。クックパッドとかにレシピも載ってますし、たしか本も出ていたはずです。そして、マスターが考えているオープンサンドとは見た目もちょっと違いますがね。華やかというか。
■え、もうあるの?画期的だと思ったんだけどな。コロナの影響で「回さない回転寿司」っていうのを見てひらめいたんだけどね。
■サンドしないサンドイッチでサンドシナイッチって、自己否定というか自己矛盾するというか、不思議な新ジャンルですよね。
広告代理店に入りたての頃ですが、新製品の広告を考える時に「この商品は単なる新発売ではなく、新ジャンルである」という訴求も必ず考えてみろと、先輩からよく言われたことを思い出しました。
■たとえばビールの「スーパードライ」みたいなことかな?
■スーパードライは、ビールに「ドライ」という新ジャンルを作ったんですね。この場合のジャンルとは税法上のカテゴリーと言う意味ではありませんが。それまでのビールはキリンの「ラガー」に代表されるように、味わい深さや豊かさを追求したものが主流でした。麦芽やホップの配合とか製法とか。
当時、僕は他のビール会社の仕事をしていました。今までなかった、のど越しやキレで勝負するドライというビールが出てきた。しかもそれが大変な評価を得ている。でも、これはビールの美味しさとしてアリなのか、というような話をクライアントとよく話しましたね。
そのうち、スーパードライはマーケットシェアをどんどん伸ばしていくわけですが、スーパードライは、その味も歓迎されたのですが、「ドライ」という新ジャンル感が商品名そのものだったところもすごかったんですね。CMも、すごい新ジャンル登場感があったわけです。「この味がビールを変えていく」みたいな。
■「おかげさまで売り上げナンバーワン」とかね。
■僕はそのコピーは好きではありませんでしたが、それもみんなが買っているという意味で効果は大きかったのでしょう。ですが、スーパードライのように、商品名自体がジャンルの代名詞になったことが最大のパワーだったと思います。
まさに先行者利得というか。そのように、みんながジャンルだと思っているけれど、実はある商品固有のネーミングだったという例はよくあるんですよ。
■たとえば「味の素」とか?
■そうですね。うまみ調味料としての商品は他のメーカーも出していますが、「味の素」はその代名詞になっていますね。他にも、たとえば「デジカメ」は実はサンヨーの商標なんです。でも「キャノンのデジカメ」とか普通に言いますもんね。
■それは知らなかったね。じゃあ「キャノンのデジカメ」は正式には何て呼べばいいわけ?
■正式には「キャノンのデジタルカメラ」じゃないですか?ちなみに「デジタルカメラ」は一般名詞なので商標登録されていなかったと思います。
あと「郵便局から宅急便が届いていない?」とか言ってる人って、いるんじゃないですか?「宅急便」はヤマト運輸の商標です。佐川急便では飛脚宅配便って言っていますね。
■じゃあ「魔女の宅急便」はクロネコヤマトが配達しているわけね。
■他にも「ウォシュレット」はTOTOの商標です。他社はシャワートイレとか言っていますが、皆さん、温水洗浄便座のことは何の迷いも無くウォシュレットと呼んでいますよね。
そして本当は、はごろもフーズ以外のツナ缶も「シーチキン」とは呼べないわけです。商標なわけですから。
■なるほどね。そういえばこのあいだ、ラップが切れたのでドラッグストアに買いに行って、店員さんに「サランラップはどこですか?」と聞いたら、「すみません、当店はサランラップは置いていないんですよ、他のならあるんですけど」と言われたな。ということは、もしかしてサランラップも?
■その店員さんは正確ですね。「サランラップ」も、商標としてのネーミングがジャンルのようになった例ですね。一般的な名称は「食品用ラップフィルム」と言いますね。
■商品名がジャンルの代名詞になったケースは分かったけど、あとはどんな時にジャンルは生まれるの?
■それまであったジャンルの足し算で、新ジャンルが生まれることもあります。例えば「ジャンボ」プラス「ジェット機」で「ジャンボジェット」、「ラジオ」プラス「カセットレコーダー」で「ラジカセ」とか。ラジカセはその後、カセットを2本入れダビングできる「ダブルラジカセ」ができ、CDも聞ける「CDダブルラジカセ」ができて複雑なことになっていきます。
「電子」で調理する「オーブンレンジ」は「電子レンジ」ですが、これは商標登録が認められませんでした。パナソニックが「エレックさん」という電子レンジを発売していて、電子レンジで調理することを「エレックする」と呼ばせようとしたことがあるようですが、これは成功していません。電子レンジという呼び方が先行していたので、ジャンル化は難しかったんでしょう。
■しかし、あなたの例えはことごとく古いね。足し算のジャンルは、時代と共に色あせる運命なのかね?
■すみません。で、今度は引き算のジャンルが登場したということですね。例の「サンドシナイッチ」みたいな。
■はいはい。
■他にも、握っていないオニギリだから「おにぎらず」、カップに入っていないカップ麺なので「ノンカップ麺」。少額のジャンボ宝くじだから「サマージャンボミニ」とかが、引き算ジャンルの仲間と言えますか。「ジャンボミニ」も、ジャンボ宝くじのミニ版ですが、この場合の「ジャンボ」って、すでに高額という意味性は無いんでしょうかね。
■そういえば「ご飯の上に牛鍋をかけた牛丼からご飯を引いた」ものが「牛皿」とか、巡り巡って込み入った作品もあるね。とにかく、足したり引いたり掛けたり割ったりしてみると、新しいものが生まれるということなのかな。
ドローンとかVRとか、今までまったく無かった新次元の発明もワクワクするけど、こういう、ありものの使い回しのような発明も、遊び心があって世の中を楽しくするね。
■そうですね。「サンドシナイッチ」と聞いて、「なんだ、ただのオープンサンドじゃないか、くだらん」とスル―するんじゃなくて、「なるほど、なるほど!」と反応する豊かな感性を無くしたくはないですね。
■それが豊かな感性かどうかは、ちょっと怪しいけどね。やっぱり新メニューに入れようかな「サンドシナイッチ」。
■少なくとも僕は注文しますよ。「サンドシナイッチ」。