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コミュニケーションについて、広告クリエイティブディレクターの話

歩きスマホが無くならないなら専用レーンを。課題の本質を解決しないソリューションはいかがですか?

 

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「もう、解決している余裕が無い」

マスター(以下):いらっしゃい。

 わたし(以下):紅茶ください。ルフナで。

 自転車の配達員が増えたね。みんな頑張っていて偉いよね。でも、スマホ片手に見ながらの人もたまにいて、危ないなって思う時もあるね。

 

配達中にもスマホを使いますからね。詳しくないのですが、配達中に次の配達リクエストが入ることもあるから、常に見ているんじゃないですか?

 

きのう白山上で、歩きスマホの人にスマホ運転の自転車がぶつかったのを見たけど。無くならないね、歩きスマホも。

 

そういえば、中国のショッピングモールだったかな、歩きスマホ専用レーンの導入が検討されたっていう話を、以前聞いたことがあります。

 

もう無くならないんだったら、いっそ専用レーンを作ってしまえ、という発想だね。本当だとしたら、すごい現実主義だね。

 

たしか、アメリカのユタバレー大の階段には、「歩行用」「急ぎ用」「歩きスマホ用」の3レーンがあるとかも聞いたことがあります。

あと、ドイツでしたか、歩きスマホしている人でも分かるように、信号を路面に埋め込んだという話も聞きました。今はどうなっているんでしょう?

 

歩きスマホ根絶は諦めて歩きスマホと共存する、をさらに進めて、歩きスマホに便利な世の中にしようということね。

 

歩きスマホ専用レーンは、典型的な現状追認型のソリューションですね。課題の本質は解決しないでいい、というかもうその余裕がない。緊急事態宣言的なソリューションでしょうか。

 

でも、それでは問題の解決が遠のくばかりというか、問題が固定化した社会になってしまうのではないかと思うけれどね。矢で撃たれて倒れた人を前に「この矢は誰がどこから撃ったのか?」と考えるより、「まずは矢を抜かなきゃ」という感じかな。

 

その例えは、ちょっと違うと思いますが。

 

このリンゴは「甘い」か「酸っぱい」かを学者が議論していたところに子どもがやって来て、一口かじって「うまい」と言ったというようなことだよね?

 

しつこいですね、マスターも。それも違う気がします。

 

話はそれるけど、エスカレーターの右側を急ぐ人のためにあける、という習慣もあるよね。関西では左側をあけるらしいけど。なんでエスカレーターには、歩き専用レーンがないんだろうね。スマホ専用レーンより、よっぽどありそうなのに。

 

話がだいぶそれましたね。どこかで読んだのですが、全員が歩かずに大人しく乗った方が、全体としては効率がいいらしいですね。

でも、たぶん1台のエスカレーターについて、全員が歩かない方が時間当たり多くの人数を運べるということであって、もうとにかく急いでいて、「モレちゃうよぅ、トイレに一刻も早く!」という個人への答えにはなっていない気がします。全体への奉仕に関心がない人には効かない話かもしれませんね。

 

でも、エスカレーターに乗っている人全員が「モレちゃうよぅ」という状況ではないでしょ。まあ、「今入ってくる電車に乗らないと」くらいの人は多いだろうけど。

 

歩きエスカレーターは、効率で説得するより「危険だから禁止」と言い切った方が効くような気がしますね。

 

誰かが横について支えていないと危ない人もいるので歩くのは禁止、と。でも、歩きスマホだって、「危険」という理由では結局無くならないわけじゃない。だから専用レーンという発想が生まれたんでしょ?歩きエスカレーターも、危険というだけでは無くならないと思うけど。

といって、ハード面で解決するのも難しいよね。ホームに低速用と高速用を作るスペースはないだろうし。歩きエスカレーターを無くす究極のソリューションって何なんだろうね?

 

車の場合は、アクセルとブレーキを踏み間違える人は無くならないということを前提に、間違って踏んでしまった場合にも対応するハードでの解決が考えられたんですね。でも、踏み間違いも含めた全ての操作ミスに対応できるシステムではないし。ハードが進んでも、結局今のところ運転するのは人間なので。

 

歩きスマホ専用レーンみたいに、高齢ドライバー専用レーンを作るわけにもいかないし。まあ、そのうち、全自動運転の乗用ドローンとかができれば解決するのかもしれないけど。

今のところ、歩きスマホも、歩きエスカレーターも、高齢ドライバーの事故にも、究極のソリューションはないってことなのか。

 

人間社会である限り、多様な人々がいるわけですから、そんなズバっと解決みたいな究極のソリューションが発明されるわけはないですよ。オール・オア・ナッシングではなく、あの手この手を繰り出して、漸進的でいいので諦めずに解決への歩みを止めないことでしか、ゴールにたどり着けないのではないでしょうか。

 

コロナにも、究極のソリューションはないだろうね。それこそ一人一人で向き合う気持ちも違うしね。恐怖と言う人もいるし、平気と言う人もいるし。家族の中でもさまざまかもしれないし。家族構成によって、仕事によって、地域によって、国によってなどなど、それぞれに抱える課題があり、それぞれ違って当たり前だからね。

 

何より、歩きスマホとは課題のレベルがぜんぜん違いますから。かたや人が作り出した社会現象が課題で、かたやウィルスが相手で全人類レベルの課題ですから。ズバリ究極のソリューションと言えるものを提示できる人がなかなかいないので、モヤっとしたりイラっとしますが、しょうがないでしょう。

逆に言えば、コロナに対してズバッとソリューションを提示できる人が現れたら要注意なような気さえしますね。

 

コロナを機会にズバッとチェンジ、みたいな。そういうのをショックドクトリンって言うんだっけ?

 

筆者については・・・

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